本、マンガ、音楽

2014年02月26日

enzine

2014年2月26日0時、稲葉のアニキが「
稲葉浩志 Official Website en-zine」をブチ上げました。B'zを百倍楽しむブログ東京油田を運営する僕としては、これに飛びつかない手はない。ということで色々見てみて、個人的にチェックポイントを見つけたので、まとめてみようと思います。いつも通り熱量高めです。不信心者は尻尾巻いて逃げ出せ。

最初に。このサイトはなんぞやという話。公式の説明だとこんな感じです。
ソロ・プロジェクトに於いて稲葉浩志が大切にしている言葉『en』。
表現の “演” 、人と人とをつなぐ “縁” 、ひとつになる “円” ・・・ “炎” “艶” “宴” など、言葉ひとつでもそれぞれの受け止め方によって多彩な意味を持つ『en』と、アメリカ西海岸で始まった手作りの冊子『zine』を掛け合わせた『en-zine』サイト。毎月、新たな情報やコンテンツを発信していく当サイトの今後の展開にご注目ください。http://en-zine.jp/pc/encyclopedia/index.html
と。なるほどなるほど。今後の展開にご注目とは、なかなかブチ上げ度高い文言。

僕はこの説明文と、そしてサイト内で新曲をYoutubeフル配信している事で、ある一つの仮説を立てました。つまり、「en-zineは、日本を代表するビッグアーティストの一人である稲葉さんが、インターネットとの付き合い方、アーティストとしてのあり方を攻撃的に模索していく試みではないか?」という仮説です。なんせこれまで、Youtubeでの音源アップロードを比較的厳しく取り締まってきていたB'zです。連想したのはLittleMonsters.com。LADY GAGAが主催するSNS。

「いよっ!アメリカかぶれ!」と言いたいところですが、僕は稲葉さんに対する信頼感を込めて、「en-zine」は僕をセブンスヘブンへと導く入口になるのではないかと期待しています。この期待を説明するためには、昨今のweb事情をちょっと補足する必要があります。

2014年現在。日本における音楽×インターネット、アーティスト×インターネットの関係性は、決して良好とは言えません。その傾向は、ビッグアーティストになればなるほど顕著です。これはなにも日本に限ったことでは無いと思われますが、少なくともアメリカでは、vevo.comがYoutubeとレコード会社の橋渡しを担う企業として存在しているようです。無料で動画を配信し、広告費で運営するサービスで、2009年からサービスインしています。それから5年経った現在でも、日本在住者はアカウントを作ることすら出来ません。インターネットにも国境はあるのです。

そんな中、2012年にGAGA様が、Little Monstersというサービスを立ち上げます。ファン同士が交流するSNS。GAGA様は、このサービスをきっかけとして世界を変えたいと言っていました。この試みはおそらくある程度成功していて、その証拠は、最近GAGA様をテレビで見かけないなぁというその実感に尽きます。テレビが喜ぶような情報発信を、彼女が必要としなくなってきているのだということです。

興味ない人含め1億人に認知させて100万枚CD売ろうというのが昭和的、テレビ的なモデルだとするならば。インターネット的なモデルとは、ファンが1000人いれば音楽活動に専念できる。1万人いれば結構な会場でコンサートが出来る。では10万人、100万人なら?という世界です。日本でいうとアイドル的な活動方法で、だからこそ現在日本では、アイドル業界が比較的活況なのだと思います。「誰もが知っている存在になる必要はない。しかし、自分たちを好きだと言ってくれるファンは、確実にネクストステージへと連れてってやる」という気概こそが、現代のアーティストに求められるものなのだと思います。en-zineをSNS化するかは未知数ですが、右から2番目のボタンが、いかにもそれっぽい。ちなみにURLはfate、和訳すると「運命」。重い。試みの壮大さを予感させます。

稲葉さんが「今後の展開にご注目」と言う真意は、きっとここら辺に挑戦するものであるだろう。そういう予測をたてた根拠は、それが時代的必然であろうという見立て以外にもう一つ。「zine」という表現媒体を冠しているという点にあります。

実は最近、僕はこの「zine」という媒体スタイルを知り、こっそり興奮していました。abcdefg*recordという名古屋発のインディレーベルのサイトで、zineの販売をやっていたのです。たった2人で運営されるこのレーベルは、このブログでも何度か取り上げた、アーティストを主体としたAllison Weissさんのやり方とはまた違った、レーベルとしての新しいあり方を模索し、成功させているように見られます。

abcdefg*recordでは、フォトZINEなるものを販売しています。プリンターでプリントアウトした旅の写真をホチキスで製本し、500円くらいの値段をつけたものですが、一部soldoutにもなっており、しっかり成立しているようです。なぜインディレーベル主催者の旅行写真が商品になるのか?それは、このレーベルにファンが着いているからとしか言いようがありません。tumblr.をやっている人は、こちらのリンクを見てみてください。photozineというのがどういうものか、なんとなく分かるんじゃないかなと思います。

有用な情報と広告を起源とするフリーペーパーではなく、ファンとフロントマンの関係性を起源とするzineという考え方。ファンクラブの様な、一対多の関係でなく、ファン一人ひとりを認識しようとしている…というのは考えすぎでしょうか。B'z/稲葉さんがYoutubeに新曲をフルでアップしたのは、今回が初だと思います。タイトルは「念書」。重い。覚悟を求められています。僕は僕たちは稲葉に覚悟を求められています。PVはあたかもAppleの1984。ソロライブは品川一会場のみ。信じるものしか救えない神様はセコいと言っていた稲葉はしかし、信じるものを強力に救済する存在へと変貌しようとしているのかもしれません。OK、覚悟完了。


という訳で、en-zineについて考察してみました。僕は期待しているし、もしこの仮説が実現し結実した暁には、「俺はこの瞬間のためにB'zファンをやっていたのだ!」といえるほどのカタルシスを感じることとなるでしょう。しかし、しかし。ただひとつだけ、最後にこれだけはどうしても言っておかねばなりません。

サイトがダサい。

思わず笑った。試みの新規性を覆い隠す時代錯誤なビジュアル。てかなにあのスプラッシュスクリーン!メインページが表示される前のビジュアルだけのページね。今どき!まさかFlashじゃねぇだろうなととりあえず右クリックしてみて、それはなかったので良かったけど今どき!あとページ内のあのボタン!今どき!ロールオーバー時にピポッとか音がしなくて良かった。フラット意識しろとは言わないけどさ。てかかっこ良ければいいんですけども!単体パーツとしてもあまりにダサいよ。そういう問題ですら無いんだけど、でもせめてアイコンの位置中心に合わせようよ。なんで全部ちょっと位置下なんだよ。



en-zine ←ログイン機能実装するかどうか賭けようぜ!

sarustar at 07:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2013年04月09日

matsuko

6/12にB'zの25周年ニューアルバムがリリースらしいので、思い出したように2年前に発売されたアルバム「C'mon」の全曲レビューを敢行してみる。

C'mon
タイトル曲。グレイト。日本人の日本人による日本人のためのRockを追求し続けてきたB'zが2011年にたどり着いたのが、「着いてこい」というメッセージだったと言うことに胸熱。一人じゃ何も出来ないと自責し、愚痴ってもいいよと慰めながら、それでも立ち止まり跪く事だけは許さない。偉大なる兄貴。

さよなら傷だらけの日々よ
C'monを受け、踏み出した一歩を更に後押しする、燃え系の曲。B'zの視線はいつだって、傷だらけの日々を歩き、しかし歩みを止めない人を向いている。ボクを傷つけるのはボクである。そんな傷は本当の傷じゃないと誰が言えるだろう?傷の深さは絶対的なものではなく相対的なもの。それを否定してしまったら、一人ひとりが前へ出ようとするその一歩は尊いと認めることさえ出来なくなる。

ひとしずくのアナタ
B'zの楽曲を大別するなら、前2曲のような燃え系と、情けない男が主人公のラブソングに分けられるだろう。自らのスペックを無限に棚上げし、ただ自己憐憫に終始する曲は過去いくつもあったし、これからも恐らく作られ続ける。しかしこの曲は、いつもの頼りない情けない男の中に、それでもどこか前を向こうとする強さを感じさせる。このアルバムのテーマを逆説的に感じさせる一曲。

Homebound
和訳すると、「家路」とでもなるだろうか。「置き去りの雑誌に素敵なニュースが見えても うらやむことはない あなたが待ってるから もうすぐ帰るから」という世界観。恐らく稲葉さんはこういう世界観を持っている。しかし同時に、というかむしろ強烈に存在感を放つ「うらやむ」という言葉。何にも代えがたい小さな幸せを愛でる繊細さと、歩け走れと急き立てるハイスペックな天命に揺さぶられ続けるバンド。それがB'z。

Don't wanna lie
これもまた燃え系である。が、冒頭2曲と比べ、さらに情けない主人公。「人間」と書いて「ひと」と読ませる大きな主語からはじまる、具体性を著しく欠く主観。まるで思春期の男の子のような自我を感じさせる。そんな幼い自我を抱えたまま、しかし歌詞は「僕ときたらごまかしつづけ もう何年たつだろう」と続く。大人になれない大人が、それでも誠意を持って世界に出て行こうとする描写。直視するのが辛いくらいの情けなさだが、それはこの国の一つの現実かもしれない。

DAREKA
「誰かにそばにいてほしい 厳しい夜もあれば 誰かと声枯らして壊れたい 血がたぎる時だってある」 お分かり頂けるだろうか。稲葉浩志の自己紹介である。しかし、「ねえ誰か 僕をしっているんだろ」から「人は誰かの返事を待ちながら 暗くせつない夜を越えてゆく」に繋がる歌詞の中で、主観を広げている事を見逃してはいけない。このバリアフリーな主観の拡張が、稲葉さんの歌詞にリアリティと大衆性を両立させている。

ボス
B'zはたまにロールプレイングをやる。タクシードライバーになってみたりギャンブラーになってみたり水泳選手になってみたりする。今回は国家元首になった。アイムソーリー、アイアムソーリ。社会を歌うことはあっても政治を歌うことは無かったB'zが、突然政治家をモチーフにした歌を作った訳だが、それは稲葉さんが義憤に狩られたわけではなく、時の政治家が、稲葉さんの視界に入るくらいに情けない男化していたということなのだと思う。

Too Young
Homeboundと対をなす一曲といえるだろう。「あなたが待ってるから何も羨むことはない」と言っていた男が、「登りつめたいと燃えていたのさ。全部君のため、それがまずいのかも」と、自らの若さを悔いる。一気に匂い立つDQN臭。ナンシー関は著書「ヤンキー文化論序説」の中で、「日本人の三大気質は、ヤンキー、ミーハー、オタクである」と喝破していた。置き去りの雑誌を羨み登りつめたいと燃えるB'zが、日本人に受けない訳がない。

ピルグリム
ピルグリム。巡礼者である。メッセージは強くなく、主人公も特に情けなさを感じない、僕的にはつまらない曲。それだけに、稲葉さんの普通の言葉、普通の世界観を感じることはできる。もし稲葉浩志に、異常なハイスペックと過剰な情けなさがなければ、こういう曲が量産されたのだろう。内面の振れ幅こそ創作の要という事を気づかせてくれる曲。

ザ・マイスター
これもまた、ロールプレイング的な作詞法がとられている。各種制作を生業とする僕にとってはツボ的に好きな曲...というか僕のための曲じゃないかと思う。ネット時代になり、何かを作る人は増えただろう。その事を意識しているかは分からないが、制作入門〜中級者にとって、共感できる部分が多い歌詞になっていると思う。熱しやすく冷めやすい、考えすぎて手が止まる。自らの中にまだ制作の流れを持っていない青二才が陥りやすい状況をまず描写し、「よくある事さ!」と勇気づける。コミカルながら稲葉兄貴の兄貴たる所以を感じさせる、C'monらしい一曲。

デッドエンド
一転して重いタイトルである。デッドエンド=袋小路。どん詰まり。まとめサイトや2ch、togetter等にまま見られる、「考えすぎて、頭の中ですべてが完結し、シニカルに俯瞰しているつもりで、実は超近視眼的」という人間像。ハッキリ言って友達になりたくない部類の人間だし、自分の中にそういう部分を見つけたら、すぐさま蓋をしてしまいたくなる。しかしそこは兄貴である。正確に描写し、寄り添い、伝わりそうな言葉を丁寧に紡ぐ。

命名
DQNキラキラネームが蔓延する現代に対し、このストレートなタイトルを持ってくるクソ真面目。ザ・マイスターがニコニコ動画、デッドエンドが2chを見て書かれた歌詞だとするならば、この曲は小悪魔ageha片手に書かれた歌詞だといえよう。こんな曲を歌い、40万枚近く売りあげても、やっぱり車内放置で乳児死亡なんてニュースは絶えない。「映画は世界を変えるつもりで作らなければいけない。それでも世界は変わらないんだけど。」といった宮崎駿と通じるものがあるんじゃないかと感じてしまう。

ultra soul 2011
最後の曲。結構長くなったねウルトラソウっ!

ふぅ。終了。
最後にいつものCM貼っておきます。これほんと良いCMだと思うんだよなぁ。グレイト ミーツ デラックス。



sarustar at 11:08|PermalinkComments(2)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2011年12月12日

takashimurakami2

村上隆×北野武を経由して、着地点は結局B'zです。「またか!」と思う方はスルー推奨。

ということで、ツーアート読みました。村上隆と北野武の対談本。世界のキタノと世界のムラカミ、二人のワールドクラスアーティスト夢の対談なんですが、内容的には完全に北野>村上。これは別に村上隆をディスってるわけではなくて、そもそもそういう本です。村上さんが、憧れの北野さんにお話を聞く、という流れです。

読んだ印象。北野武はアーティスト。この場合アーティストの定義は、創作への欲求が自身の内側、もしくは天から授かった才能から沸き上がるものであるということ。他者、社会は観察対象、攻略対象であり、しぶとい自我がまずある。それに対し村上隆は、フェイクスター。あるのはまず憧れ。アートへの、アートを育んだ白人カルチャーへの、それを支えるタレントと社会への憧れ。自我の暴走を許さない理性がまずある。頭が良ろしいのでしょう。

この村上隆の劣等感にも似た苦悩は、残念ながら僕はよく分かります。分かってしまうと言うべきか。こんなもの知らなくて済むならその方が良かった。自分に世界をねじ伏せる才能が無いことを痛感するのは悲しい事です。しかし、それを知ることが大人への第一歩というのも、また真実。この挫折がなぜか被害者意識を育て、弱者の暴論を大人の理論とすり替え、ダークサイドを歩む人もいます。しかし、才能の勝負ではなく、努力や学習、勤勉といった資質をもって世界と対峙する美しい人も、世界にはたくさんいます。

僕がハリウッドスタイルの、理屈馬鹿なストーリーテリングに惹かれるのは、それが「物語の神に近づこうとする人間の方法論である」と信じているからです。これを信じる才能は、幸い僕にも備わっているようです。蒼天航路の袁紹のような生き方かもしれないし、医龍の霧島軍司のような生き方かもしれない。その両者は残念ながら、意志ある才能の前に敗北を喫するわけですが、それが世の常ではありません。というより、それが世の常でないからこそ、そういう物語が悪魔的な魅力を放つのです。

そういう苦悩をおそらく抱えている村上隆のやり口を、しかし僕は好きにはなれません。彼の憧れるものとその結果作る作品が、あまりにダサいからです。彼は自分の中を探して、2つ突出したものを見つけたのだと思います。まず、西洋アート業界をロジカルに分析把握する事ができ、そこに侵入する手段を算段できる程度の頭の良さ。そして、その西洋アート業界に対する最大限の憧れ。憧れが脆弱な性根と結びついた時、劣等感が生まれます。彼ほど立場を確立した人間ならば、その劣等感を素直に表すことが、もう表現になり得ます。しかし彼はそれを決してしないでしょう。ダサい。歪んだ自尊心のなせる業か、それとも我が身を焦がす劣等感ですら信じられないのか。

で。

B'zはそんな、「どうしようもない憧れ」を抱えたミュージシャンです。横国を出て教員免許を取っておきながらミュージシャンの道を選ばせる程の、どうしようもない「ロックンロール」への憧れ。easy come,easy goのPVを見れば明らかです。ああいうのが大好きなのです。そして彼らは、強烈な自我を持った白人でも虐げられてきた黒人でもなく、平和で豊かで均質な日本に生まれ育ったという、否定しようもない/する必要のない事実も抱えています。丸い刃はなお痛いのです。悪そな奴は大体友達程度じゃ、ひりつくようなリアルヒップホップは生み出せません。マブなダチが2,3人撃たれて死んでくれないとさ。ハクつかないじゃん。

しかしB'zは、そんな日本で生まれ育った自分を凝視し、それでもロックをやろうともがいています。「俺を理解するのは俺一人だ!」と叫ぶ自我も、「誰も信じられない!」と叫ぶ貧困もない。でもだからこそ、「一人じゃないから、奪いながら生きてる!」と叫ぶのです。「願いよ叶え、いつの日か。そうなるように生きて行け」と、馬鹿みたいに楽観的に叫ぶ言葉にそれでも力があるのは、この国が、世界がそういう事を信じていられる場所だと、彼ら自身が信じ、あるいはねがっているからです。

この国に生まれた人間だからこそ叫べる言葉がある。その真理に彼ら自身がたどり着いたのがいつかは分かりませんが、ELEVENというアルバムの中に、まさに決意表明と言えるような歌があると、僕は思っています。それが、「
Seventh Heaven」です。 第七の天国。六大陸に属さない、七番目の価値観。それが日本ではないでしょうか。ないでしょうか!「セブンスヘブン ただ歓びなさい」なんて、まさに神の声。「身分の区分忘れ光浴びなさい」ですって。これこそ日本じゃありませんか!せんかっ!!(バンバン

彼らのアメリカ憧れは、時に滑稽ですらあります。MOTELって!見たことねぇよ!がしかし。その曲は確かに力強く、その歌詞は確かに現代をもがき生きる人達に向けられています。最新アルバムC'monで「夢を問われ 答えられないのは罪でしょうか? 何もできず一日が終わるのはダメですか? どんだけ似てるように見えても 昨日と今日は絶対に違う」 そんなこと他に一体誰が言ってくれるというのか。タイトルはデッドエンド、いわゆる袋小路。そんな中で、無理矢理でも面白がれと訴える男たちを無視していいのか。ただのオリコンスターで終わらせて良いのか。良い訳無いのです。本人達が許してもファンが許さないのです。信者は神より怖いのです。

2011年にB'zが出したアルバム「C'mon」のCMは、キャッチーで旬なタレントを起用した、それでいて大変力強いものでした。真紅のドレスに身を包んだ上からマツコを大胆に起用したシンプルな作り。重厚な低音ヴォイスで繰り返されるメッセージがまっすぐに響きます。曰く、「相手してやっから」。なんて直球。背負う気満々じゃないすか。どんだけグレイトなんすか。

ツーアート (光文社知恵の森文庫)
ツーアート (光文社知恵の森文庫)
クチコミを見る



sarustar at 00:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2011年08月24日

愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)
クチコミを見る

ブスラジでキーチの話してる時にmicci_dに読めと言われたので、今更ですが読んでみた。面白かったです。確かにキーチ好きなら読むべき作品。特に上巻はぐいぐい引き込まれた。下巻は正直めんどくさくて、ラストへの興味だけで読み進めた。終わってからレビュー漁ってみたんだけど、有名な割りにあまり無いのね。やっぱインターネット以前の小説だからか。見た感じ、amazonのアレンさんのレビューが一番しっくり来た。一部抜粋。
前期作品においてはやはり「ブルー」や「コインロッカー」を引きずっていて、ご本人も自らを「詩人」だと思っていたらしいが、今や「長編作家」であるとし、おベンキョーしては吐き出す大江健三郎的作家になってしまった感がある。
まさにこんな感じ。忘れてたけど俺村上龍基本嫌いだった。半島を出よ、5分後の世界、69読んだだけだけど。物知りで美味いもの好きなのは分かったよ俺どっちもあんま興味ねーんだよと思ってしまう。

読んでて、確かに「キーチ!!」を思い出した。他にも、民主主義を否定する下りでは「沈黙の艦隊」の「人類が手にした最も価値あるものは民主主義です」みたいな台詞を思い出したし、そもそも猟師の時点で「ザ・ワールド・イズ・マイン」を思い出さないと嘘だ。新井英樹ファンとしては、「なんだー元ネタあったのかー」とか思って、ちょっとがっかりしたり、それを書いた村上ドラゴンに嫉妬の感情を覚えたり。新井英樹信者ですから僕。でも、最後まで読んで、嫉妬する必要はねーな、とも思ったんですよね。これはキーチのが上だ、と。上とか下とかじゃ無いんだけど。

もちろん「すげー預言者かよーマジで30年近く前の作品かー」とは思った。と同時に、決定的な古さも感じた。その古さというのは、AKIRAに感じる古さと一緒。インターネット以前な感じ。世界がまだ闇に包まれてて、分からなくて、だからこそ絶対的で、怖い時代。

この時代のテーマっていうのは、たぶん「対立」だったのだと思う。北と南、右と左、国家と国民、文明と原始、企業と労働者、民主主義とファシズム、資本主義と共産主義。こういった分かりやすい対立がまずある。そして、その裏に、そういった分かりやすい対立を仲介する闇がある。対立に惑わされずにその闇を描いたのが「愛と幻想のファシズム」の新しさだったのだろう。労働組合と企業の対立の中で、「我々はどちらにも属さない。」としたクロマニヨンの怖さで、新しさだ。

しかし、現代はそういう時代じゃない。対立はあらゆる意味で力を失った。ラストのゼロの台詞がすごく象徴的。
「原発ってさ、ミスを防ぐという発想じゃダメで、あらゆるミスを想定してそれらにすべて対処できるプログラムを組むらしいんだよね、ありとあらゆるミスの可能性を考えて、どんな場合にも対処できるシステムを二重、三重に作るわけだろ、それはね、すごいストレスだって言ってたよ」
ところが、福島はあのザマだ。優秀な人間が作った優秀なプログラムは、保身や隠匿、利権、身内同士の庇い合いといった、幼稚で社会的な、「大人の事情」でボロボロになる。闇が薄まれば、世界はコントラストを失う。

そうやって、全てがグレーになったのが、現代なのだろう。みんな薄々気付いてる社会。闇が薄くなるというのは、そのまんま、世界を信じられなくなると言うことだ。幼いころ怖かった物置のお化けが、今は全然怖くないのと一緒。怖いということは、信じているということだ。

そんな時代に生まれたのが、「キーチ!!」「キーチVS」なのだと思う。新井英樹は「みんな薄々気付いてる世界」を指して、「思ったままの世の中」と言う。「思ったままの世の中ですよ」なんて台詞を子供に言わせる。「世の中のああいう汚ねえ仕組みなら誰でも知ってる。俺は、世の中、そんな仕組みでできてる当たり前だとか、そんなカラクリ知ってるだとか、誇らしげにぬかす連中が腐るほどいることにヘドが出る」と言い切る。知った風に「野生は美しい」なんて言わず、「金を掴んで、金が全てって価値観をぶっ壊す」と言う。進化を信じているのだ。信じたがっていると言うべきかな。

だから俺は、新井英樹がやっぱりすげー好きなのです。30年前の作品と比較するのもフェアじゃないし、そもそも比較する必要も無いんだけど、進化を信じるという一点で、染谷輝一は鈴原冬二よりも信用できると、キーチ信者の僕は言いたくなるのですよ。新井英樹は解き明かして満足しない。だからどーするってのを、ちゃんと中心に据えてる。キーチの話になってしまうな。信者だからしょうがないけど。愛と幻想のファシズム好きな人は、とりあえず読んでみて欲しいです。トウジの「その後の価値観」が描かれています。愛と幻想のファシズムの子供みたいなもんです。ゼヒゼヒ。

110824_0131~01
思ったままの世の中

110824_0133~01
この後24時間テレビで演説する。徳光も出てくるよ!

sarustar at 02:50|PermalinkComments(3)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2011年07月05日

hunter28

後半ネタバレを含みます。ココからネタバレって書くので、気になる人は読まないでください。

僕が今一番ジャンプで楽しみにしてるのはHUNTER×HUNTERです。心理描写と画力がすごいレベルで一致してる。26巻の「ずるい!ずるいぞちくしょう!! なんでそいつばっかり!!!」も少年誌じゃ書いちゃいけない台詞だったけど、28巻の「人間の底すらない悪意を・・・・・・!!」の時の会長の顔とか超怖い。そして「悪意」に振られたルビは「進化」。PULUTOの、「完璧な人工知能は悪意を持つ」とかナウシカの「命は光だ!」「否!命は闇の中瞬くひかりだ!」といった価値観にも通じる、日本謹製ストーリーテリングの伝統を加速させる華麗なルビワーク。オリジナルの価値観ではなく伝統に則った、すごいハイレベルな「無難」。28巻の二番目の見所はこの会長のコマで決定。

怖いといえば、パームも相変わらず怖い。ホタルの木の後のパチ切れたパームがもちろん一番怖いんだけど、今回も超怖い。このキャラは冨樫さんが結婚したからこそ書けるんだと思う。幽々白書ではこういう女性は出てこなかった。さばけたイイ女ばっかりで、幽助の母ちゃんと父ちゃんがラーメン屋台の幽助を見てる時の会話が、最も「リアル」な女性描写だった(2番目は海藤とその彼女?の4コマ)んだけど、今にして思えば俄然童貞臭い。パームは完全に非童貞の女性観。話が通じる気がしない。今回のパームはともかく、ゴンとデートするパームのスイーツwっぷり、ホタルの木の後の爆発っぷりとその後の冷静さの取り戻し方は凄過ぎると思う。

全体的に、ココ最近のHUNTER×HUNTERはポエミーだ。ストーリーテラー目線の説明的ともいえるト書きが目立つ。もちろんこれもすごく効果的に使われてる。全然漫画の敗北とかそういう事じゃない。脚本は散文的というよりむしろ詩的に書くべしと言われるんだけど、この形式をとる事で、わざとらしい説明キャラを立てるという漫画にありがちな制約から解き放たれて、物語が、絵が自由にのびのびと展開してる。さらに、説明を説明として独立させる事で、漫画としてじゃなく、一枚の絵画として表現するって方法も取れるようになる。会長×メルエム戦前半の、「敵への惜しみなき賞賛」ページとか、「この上ない至高!極上の歓び!!」ページとか。脚本がポエミーに書かれるのは、監督のイメージを喚起する事が脚本家の仕事だからで、そういう意味で冨樫さんはきっとまず文章を書くタイプなのかなと思う。絵と文章の頭を使い分けつつ、その二つが華麗に同居してるように感じる。

---------------------------------ココからネタバレ---------------------------------

で、僕が28巻で一番興味深かったのが、会長の奥の手が「貧者の薔薇」だったこと。千手カノン零の掌よりも、独裁小国家御用達の、量産可能な爆弾のほうが威力が上なんて。そんなに社会は強いのか。ダイの大冒険の「黒の結晶」は、「魔界ですら恐れられた魔力を吸う爆弾」という設定で、その威力の説得力を担保してたけど、「貧者の薔薇」は「のべ250を越える国や地域でその10倍の花を咲かせ512万人の命を〜」とか「11万人」とか「八割以上の」とか「数十万発の種」とか、数字の羅列で説得力を担保するという、ちょっと安い方法をとってる。この安さこそが、「人と蟻でどこが違うのか」ってところに繋がるのかもしれない。ひょっとしたら冨樫さんは、書いてるうちにガチでそこにぶち当たって、そのために、ある種贖罪の様にメルエムをどんどん強くするしかなくて、結果その悩みをそのままぶちまける形で、その説得力を貧者の薔薇や会長の死に様の描写に掛けたのではなかろうか。真に怖いのは民衆(=社会)である、というのは、七人の侍でも描かれたテーマだ。

---------------------------------ネタバレココまで---------------------------------

もしそれが事実なら、冨樫さんはものすごく身を削ってこの漫画を描いてるなーと思う。誤解を恐れず言えば、ここまで突き詰めないといられない人が、なぜ少年誌、しかもJUMPで描くのかというのは、ちょっと興味深い。少年誌より青年誌の方が上と言うのではなく、単純にこの価値観の深度は、より青年誌向きではなかろうかという疑念だ。会長の最後のコマやピトーに抱きかかえられるメルエムの絵の強さは、ひょっとすると助け出されたグリフィスレベルだし、「ずるいぞ!なんでそいつばっかり!」は「僕、いい子だったろ…?」に匹敵する正直さだ。

これはきっと、冨樫さんの作家としての性格なのだろう。伏線よりも話のスピードで層を作る。言葉と絵を分離させる事が出来るからこそのスタイルかもしれない。ベルセルクも寄生獣も、そういう風には描かれていない。プロットを練り上げるのではなく、湧き上がる言葉に時に振り回されながら、なんとか着地出来る地点を探していく。その結果生まれるものは、なんとなくだけど、やっぱり少年誌っぽいものな気がする。ミスター青年誌であるところの浦沢直樹みたく、「なんちゃって最後まで計算済みですよポーズ」をとる様な姑息さが、時に有効だったりする青年誌には、この多感で繊細な冨樫スタイルは合わない様に思う。


と言うわけで、長熱くなりましたがHUNTER×HUNTER28巻でした。29巻は来月8月4日発売らしいです。ゴンさん登場が楽しみです。

 HUNTER×HUNTER 28 (ジャンプコミックス)


sarustar at 23:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote