Cinema

2015年07月21日

ウォータンク

前回、マッドマックスの形がオシャレだということを書きましたが、ではそれを僕たちはどう活かせば良いのか?と考えてみたくなったので、書きながら考えてみます。ちゃんとまとまらない可能性はありますが、アイディアはあるので読んでみてください。

オシャレポイントを整理してみると、
1.これまでのチェイス(に限らず)映画の多くは、アクションパートを「魅せるシーン」とし、そこであげたテンションの余韻でストーリーパート(人間関係や葛藤、成長)を見せる、という形式を取っていたのではないか
2.マッドマックスでは、戦いながら移動する描写自体が魅力的であり、フレッシュな戦闘描写とストーリーパートを同時に描ける。よって静止した絵の時には「次の方向性を決定する」という役割さえ果たせば良いことになり、スッキリする
3.ずーっと爆発しているのに物語がリッチ。全編の緊迫度が常に高水準でまとまっている。
という感じかなと。

例えばマトリックス レボリューションズ。戦闘シーンはどれもフレッシュですが、あの階段のあるホールでの戦闘シーンは、「要求を拒否されたので暴れる」というシーンであり、要求がどうなるのか?という次のストーリーへの繋ぎとしてしか機能していません。そのため、2時間戦闘を続けると、お話は一歩も進みません。

これらのポイントは、「戦闘に社会を持ち込み、それをコンパクトに表現している」というアイディアがキモになるかと思います。ウォータンク車内には、「隠れる」「撃つ」「車を運転する」「車を修理する」「傷を癒す」という役割が存在し、これらを誰が担当するか?という社会が形成されています。

各キャラクターにはそれぞれ出来ることと出来ないことがあり、例えばニュークスは直接敵を攻撃することはありませんが、車の運転、修理には特別の力があります。フュリオサは運転、戦闘に強く、マックスは(隠れる含め)全て出来るため、主人公として機能しています。これらの役割が全て、「逃げ切る」という目的に集約しており、かつ「どれも移動しながら実行する必要がある」という状況があり、しかも「移動しながら実行できるくらいに大きく頑丈なウォータンク」という乗り物があるおかげで実現できている、という点は見逃せません。

過去、こういった「多機能性を持った個体」は、主に人が担う役割でした。アクション映画の主人公が超人化するのはこのためです。本作ではそれをウォータンクという乗り物に仮託したのは、大きなポイントだと思います。つまり、他の映画の主人公的な無敵性、多機能性は、本作ではウォータンクそのものが担っているのです。爆発に巻き込まれても死なないシュワちゃんが、爆矢投げつけられても止まらないウォータンクになったのです。

こういうアイディアは、例えばパシフィックリムの「イェーガーは二人(以上)で操作する」というアイディアに近いものがあります。社会は3人以上でないと形成されませんが、2人になることで「関係」は生まれるため、そこにドラマが生まれます。誰が誰と組むのか、誰が生き延びるのか、誰がリードするのかといったイェーガー内の人間関係は、社会を描くため「基地」を必要としましたが、10人近くが乗車できるウォータンクなら、ウォータンク内のみで完結させられたのです。

主人公はウォータンク!と無理やり考えてみると、なんだか色々クリアになる気もします。最後の自爆はアイツの自爆であるとともに、ウォータンクの死でもあるわけです。またフュリオサが今回の計画を実行に移したのも「ウォータンクがあれば成功する」という目論見があったからです。非常にヒーロー的です。能力のあるウォータンクが、フュリオサという意志をインストールすることでドライブする物語、と考える事ができるかもしれません。

主人公性をキャラクターとは違うものに仮託する、というアイディアは、この映画のストーリーというか映画的な新しさにとって、重要なポイントだと思いました。例えば銃に仮託するとどうだろう?家だったら?ロボットだったら?そうする事でキャラクターは新たな自由を手にできるのではないか?と考えてみるのは、方法としてアリな気がしました。ということでひとまずここまでにして、これらについては今後も考えてみようと思います。

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2015年07月17日



各方面での絶賛にケツを叩かれ見てまいりました。1,2見てないってのは内緒。3は見なくていいって言われたので見てません。この熱量で語ってしまっていけないのは分かっていますゴメンナサイ。でも語りたいのです。

第一感想。面白かったし楽しかったしカッコ良かった!恥ずかしながら免許を取れないエンジン弱者なので真髄をしゃぶり尽くすことは出来ていないのですが、それでもジョー艦隊の空撮とかフレッシュなビヨーンビヨーン描写とかドゥーフワゴンのエレクトリカルパレード感とコーマドーフ・ウォーリアのミッキー感とか手投げ爆矢とかスーパーロングスイングアーム空爆部隊とか美女美女アンド美女とか夜の砂漠の美しさとかニュークスの孤独と宗旨替えとかガソリン口に含んじゃう自分の安さとか恍惚の銀スプレーとか峡谷あるいは山脈のような砂嵐とか凄く良かった。良かったです。ドゥーフワゴンさぁ。良いよねぇ。戦いの場所には勇ましい演説や楽隊が必要だし、あの世界観ならそりゃああなるよねぇ。寝てたコーマドーフがおいおい出番かよって準備する時の感じとかギター構えたスタンス広いフォルムとかほんとカッコイイ。

え、この映画の監督って70歳なの...?

いやーー。なんだろう。恐ろしい。恐ろしい映画ですよこれは。何が恐ろしいって、グロ描写がほとんど無いってこと。この世界観で、この描写で、このコアなファンがすでに付いているジャンル映画オブジャンル映画みたいな今作で、決定的なグロ描写、目を背けたくなる描写がほとんど無いのです。北斗の拳と比べるとよく分かる。すごーく真面目にというか、当たり前の映画として作ってるという。豊か。ロージー他WIVESもそれはもう美し過ぎて笑っちゃったし。なのに演技できるのよね。少なくとも違和感ない。というかあの美女軍団、腹ボテのロージーが違和感無い絵作りて!その豊かさに恐ろしさを感じるとともに、気負いというものが創作にとってある種の枷になるんだという事を重ねて思ったり。凄く熱心なのに、凄く冷静に作っている感じがしました。

それからロードムービーとしても、勉強になるなと。やっぱりロードムービーというのは、非常にプリミティブな映画の、ストーリーの形なのだなぁと思います。点から点に向かって移動する、その道中を描くのが物語なんだよきっと。ていうか、ニュークスの視点で見ると完全に青春ロードムービーなのかも。残された命が短い事を自覚する少年が、自らを守ろうとする呪縛と決別し、アニキの背中を見て成長する...と書くと、まるでマイフレンド・フォーエバーだ。

そう。この映画はそういう物語をちゃんと含んでいるのです。宇多丸師匠も何度も指摘してたけど、プロットはシンプルなのに情報量は多い。車中の描写が大半を占めるロードムービーを見ると、あちこちシーンを変えて、その場に縛られた言動をする登場人物がやけにモタモタしてるように感じちゃったりもする。ましてやこの映画は、120分間クライマックス。その情報の密度ったら。無駄の無さったら。その見方で言うと、ゼロ・グラビティに似てるのかも。ラストの、ズシっとした足取りを描くために120分使ったゼログラ...と書くと順序が逆かな。映像のアイディアがあって、そのアイディアを際だたせるために、極限まで削ぎ落とされたプロット。しかしだからこそ、要所はビシィッと抑えているという。新しい形。おしゃれな形。

CGや撮影技術の発達とともに、そしてストーリー技術や観客のリテラシーの発達とともに、より複雑な方向に向かっていたハリウッド・SF映画というベクトルは確かに存在しました。インセプションが最右翼か?それは確かに壮大で圧倒的ではあるのですが、「できる事をこれでもかと詰め込む」という意味では、今にして思えば若さを感じてしまいます。そのベクトルと比べての、ゼログラビティや本作マッドマックスの、実に大人なこと。軽妙なこと。素晴らしい。その進化の方向性は、世の中の方向性ともリンクしているように思えます。SONYよりもGoProやAppleといった一点突破企業が躍進していることや、なんでも出来るポータルサイトより単機能のアプリが重要なことなど。など。技術を、進化を拡大方向ではなく深化方向へと使う。機能を減らして影響力を強める。

「機能を増やすには技術が必要だが、機能を減らすには哲学が必要。」という、iPhoneやデザインを語る時に良く引き合いに出される言葉があります。JobsがNIKEの社長に「NIKEは最高の製品も多いがクソみたいな製品も多い。良いものにだけ集中しろ」というアドバイスをしたとかね。でもなんというか、機能を減らして、それでも多機能なものと勝負するなら、やっぱり技術はとても大事なんだなぁと思います。モータウンジョー信者高橋ヨシキ氏は、この映画の作りこみは宗教芸術の作りこみと方向性が同じだと指摘していましたが、これはなるほどと思いました。圧倒的技術を非科学的な概念に一点集中するには、共通のビジョンが不可欠です。そしてそれは、Appleプロダクツが宗教的に扱われるのと共通するところがあるのではないかと。

これは河本さんと話さねばね。Appleに似てるとか言ったらツマンネー奴だなとか言われそう。あの人センスわりぃからなぁ。わかんねーなりに楽しむんだろうなぁ。


宇多丸 語り足りない!「マッドマックス 怒りのデスロード」高橋ヨシキ シネマハスラー

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2015年01月26日



プロレス好きな人からは怒られそうですが、試合ではなく踊る中邑真輔を見てビンビンきました。試合は見たことないですごめんなさい。で、我ながらなんでこんなにクるのか分からなかったので、ちょっと考えてみました。

まず上記の動画の第一印象。ガキンチョ共がシャラくさい。ただこのシャラくささというのは、もう完全に「これをモノにするには若すぎる」ってだけの事で、決して嫌いだと言いたいわけではありません。茶番をやり切ってるんだという説得力は、まだどーやったって持ちようがないんだと思います。輸出コンテンツはエキセントリックであればあるほど強いわけで、自国民としてみると鼻につくのは仕方ない。これは以前の「
Happy問題」で僕を悩ませたものと同じです。あれは酔っ払った大人の所業だから、嫌悪が舳先で旗振ってたけど。あ、曲は割と好みです。

で。この動画における中邑真輔の存在感とあり方について。僕の理解を越えています。プロレスのプロレスラーの表現力ってこんなとこまでいってんのかと。めちゃイケでの中居くん的なナニカをみたいなものを、愛と忍耐で長い年月かけて抽出し知性と偶然とフィジカルの説得力で結晶化した感じといえばいいのか。

例えば僕が何者かとしてこの中邑ポジションに抜擢されたとして、こんな洗練されたアイデンティティを示せる気が微塵もしません。この達者なガキンチョどもを前に、どう振る舞えば良いか分からない。アウェーな土俵もといリングに一人降り立ち、チャンピオンベルト晒して相手のブックに余裕綽々に乗っかる力量。努力やプロであるという自意識すら感じさせない、人を食った表情と動き。インテリジェンスが裏打ちする色気に塗れた軽妙洒脱な存在感。それらをこの場で発揮すれば良いという判断の正確さ。

凄いよプロレス。新日本と言えばいいのか?詳しくないからなんか言うのも憚られます。ちょっと河本さんに教えを請わねば。

そんな中邑真輔の魅力、魔力に衝撃を受けた僕ですが、あわせて衝撃を受けたのが、その魔力を見事動画に落とし込んだ、このディレクター、あるいは中の人の力量です。

例えば、中邑真輔のマイムからの「あーそびーましょ」を受けてのあの表情。なんてオーダーしたんだ。そしてその後の力比べの流れと結果。なんてオーダーしたんだ。両者の、単に「ダンサーとプロレスラー」「大人と子供」「ゲストとオーナー」といった二項対立では説明付かない、複雑で絶妙なバランスを定義せんとする物語。キッズやキッズが表現するものへの信頼と、中邑真輔の言葉に出来ないナニカ(おそらくイヤァオ!的な何か)への信頼が高いレベルでバランスしていないと収穫できないカット。それをもぎ取った奴がいる。凄い。

ひょっとしたら。中邑真輔が凄すぎて、当初のオーダーの斜め上3000mくらいのパフォーマンスをした可能性もあります。でもだとしたら、仮に全くの偶然の産物だとしたら、中邑真輔をキャスティングする理由が見えない。イヤァオ!という空(クウ)への投身の一歩を踏み出す理由がわからない。愛か。プヲタの愛と盲信なのか。その可能性もあると感じてしまうくらい、今の僕にとって中邑真輔はオーパーツです。誰が撮ったんだ。

天ぷらキッズ(の中の人含む)と中邑真輔に共通するものは、自らが飛び込んだ「茶番」への確信と愛、そして距離感ではないかと思います。上の動画のサムネ、この表情を正面ではなく斜め上から撮る「距離感」。中心に意味のないものを据えることで得られる無限の自由…というとなんて日本的。で、今いろいろ中邑真輔動画漁ってたら、京都出身なのねこの人。なんだろうこの説得力。第一印象として下に貼る動画との関連性を感じたんだけど、それだけじゃないな。このウルトラマンのスタンスから更に一歩も二歩も前にいる。

今後、天ぷらキッズが誰かとコラボるとして、これは相当相手の力量が問われるよなぁと思います。今後の天ぷらキッズの動向に俄然興味が。もちろん今の、そしてこれまでこれからの中邑真輔にも興味が出てきました。漁らねば。フォローせねば。足を運ばねば。



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2014年01月14日

pacificrim

やっとパシフィック・リム見ました。こういうのは映画館で見るべきなんだけど、当時見過ごしてしまったため、約半年寝かしてしまう結果に。絶対楽しいというか、絶対見たいものが見れるだろうという確信があったため、ゼログラビティシンドロームを払拭する映画に選びました。ゼロ・グラビティ後、リンカーンとTEDと欲望のバージニアという映画を見たんだけど、どれもパッとしなかったのです。結果大成功。今音声解説を見ながらブログを書いています。

お話は非常にシンプルというか、教科書通りな感じというか。音声解説聞いてると、スポーツ映画をイメージしたようです。納得。監督が当たり前のように「これはジャンル映画なんだ」って言ってるけど、ジャンル映画ってどういう言葉なんだろ?スポーツ映画とか、音楽映画とか、怪獣映画とか、そういうものの総称ってことで良いのかな。

この映画に関しては、僕はもう「あー楽しかった!」以上の感想は持ち得ないので、ちょっと趣向を変えて、「もしもパシフィック・リム2を作るなら」をもやもや考えてみようかなーと思います。

パシフィック・リム 2かー 見たいなー 残さなきゃいけないのはなんだろ。大怪獣とイェーガーは間違いなく必要だよな。怪獣の姿形はまったく変わっても良いと思う。ウルトラマンの怪獣は都度出自が違う訳だし。見たいのは「巨大メカと大怪獣の新鮮な殴り合い描写」で、それが本作くらいの愛とリアリティで成されれば、きっと2として正しいものになるんだろう。

これは過去日本の特撮やアニメが試みてきた挑戦で、ネタは色々あるように思う。今作のメカの特徴は、「明確な弱点(カラータイマーとか)がない」「最強の武器(何でも切れる刀≒アイスラッガー)を持ってる」「コックピットに乗る必要がある」「飛べない」「燃料の心配は必要ない」「政治の支配下にある」「人的暴走の危険がある」あたりか。

ちょっと余談。燃料の心配とか弱点要素が無い、最強武器を持っているというのは、そんなところでドラマを盛り上げるのが好みじゃなかったというか、そう言う緊張感を描きたくなかったという事なんだろうと思う。メカ無双がやりたいと。その結果、敵に人類滅亡の意志や知性を必要とした、いわゆる悪さ強さのインフレが起きちゃったというのは、ちょっと残念ポイントな気が。エヴァの敵が意志を明確にせずただ「脅威」として存在できたのは、使徒ってネーミングとかゼーレの目的とかそういうベクトルがあったという以外に、「活動限界」「暴走の危険」というテンション維持装置があったからな訳で。

話を戻して。こういう特徴を踏まえて考えると、人的暴走の危険性があるというのは、フォーカスし得るポイントの様に思う。イェーガー同士が殴りあう可能性があるって事で、それはまだ描かれてない。インフレも防げる。怪獣を操っていた奴らが実は人間も操るとか、トラウマを攻めるような事が出来て、パイロットを操る...とか?リモコンを奪われた鉄人の怖さか。もちろんラスボスは大怪獣だけどね。んー 保留。アイディアの一つとして。

あと、「飛べない」というのは、イェーガーの数少ない弱点の一つなので、これもフォーカスし得る。飛ぶ敵には手も足も出なくなる可能性があって、強さのインフレを防げる。解決策としてバックパックをつけるというのも、フロントミッション的で楽しいけど、ここまでなんでもありなメカが描かれちゃってると、それはあんまりカタルシス無さそう。なんせヘリ6機でイェーガーを運べる世界観な訳だし。あ、飛ばないにしても乗り物に乗るというのはかっこ良いかな?んー バイクだとイェーガーが生々しくなっちゃうよなぁ...合体ギミック採用...?

後はなんだろ。今作とは違うというアピールとして、核が効かない、ブレードじゃ切れないという描写は、早めにあった方が良いのかな。「事件はねぇ、会議室で起こってるの。」的な。そうすれば新兵器が出せるし!一体じゃ扱えない武器とか、ドリルとか、まだまだかっこいい武器は色々あるもの。あ、「イェーガーの発案者」みたいな人って、キャラクターとして出てきてないよな。その人が古代の壁画みたいなのを参考にした、みたいなエピソード足したら、伝説の武器とかいけるか。あのブレードの万能感は突っ込みどころの一つではあったと思うので、そこを広げるというのは、無くはない気がする。そこら辺説明無しなのがパワフルで良いところでもあるんだけど。でもほら、ポジトロンライフルの一点突破感良いじゃん。

武器といえば、個人的にはランドマークとか巨大施設で戦う巨大ヒーロー見たいんだけど、イェーガーとは違うかなー。スカイツリーに串刺しにしたり、ガスタンクをフルスイングで投げつけたり、ダム持ち上げて攻撃を防いだりとか、そう言うのが見てみたい。塊魂的なカタルシスがありそう。

と、ここで結局音声解説全部見ちゃいました。最後の最後にまた日本の特撮映画の話してらっしゃる。半分くらい特撮愛を語ってた気がするw 大好きなんだろうなぁ。嬉しいな。あ、最後の台詞かっこいい。「僕は怪獣のために生きている。共に彼らを活かそう。」だって。良いわー それだけで良いんだ!ってのが感じられる台詞。だし、そういう映画だった。あー楽しかった!あと今日、リアルスティールという映画を教えてもらったので、これも今度見てみよう。等身大+αくらいのメカ操縦して拳闘させる話。パシフィック・リム、トランスフォーマー、リアルスティールで、こういうガシャガシャ系メカが3サイズ出揃った感あるなぁとw みんな好きね!

で、今知ったんだけど、ギレルモ・デル・トロ監督、
2の脚本書き初めてるらしいですねw 実現すると良いなー!今度は映画館で見るんだ!

sarustar at 09:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2014年01月04日

gravity


1日は何の日だ?映画の日だ!ということで、元日からついった、Fbで「すげぇ!」と話題のゼロ・グラビティを見てきました。チャリ圏内の映画館だと3Dは吹き替えしかやってなかったので、友人誘って車で30分位かかるかほくイオンまで。お客さんいっぱいで賑やかな雰囲気。

見た感想。面白かったです。さすがアカデミー賞本命と言われるだけある。確かに3Dで見るべき。僕がグッと来たポイントは3点。タイトル、ジョージ・クルーニーのキャラクター、グッと抑えた演出の豊かさ。それらを一言で言うと「すっげぇ!」という感想になる。映像はもちろんすっげぇんです。でも、それだけじゃない。宇宙空間のリアリティの凄さやこなれた3D表現もちろん凄いし、見えるけど届かない無重力空間は本気でコワイのに、それ以上にお話や構成が凄いと思いました。

以下ネタバレあり注意。

まず、タイトルについて。邦題ゼロ・グラビティ。オリジナルだとGRAVITYみたいです。無重力と重力で、タイトル的には真逆。映画の内容で言うと、ゼロ・グラビティ=無重力の時間が95%。だから、説明的なタイトルとしては邦題のほうがシックリくる。でもオリジナルはGRAVITY=重力。ラスト、地上に降り立ったサンドラ・ブロックの、筋力低下して自重を支えるので精一杯のあのワンカット、フワフワした生き方を捨て、一人の人間として辛い過去に向き合い、それでも未来を志向する一人の人間を描くあのワンカットを撮りたかったんだよ、というタイトル。そういう意味で、オチのあり方としては、トゥルーマン・ショーと似てる。非常に文学的というか、お手本のようなテーマ。そのテーマを重視すると、宇宙空間にフォーカスした邦題は、良いタイトルではあると思うけど、若干のチャラさを感じました。

次に、ジョージ・クルーニーのキャラクター。爽やか!超カッコイイ。2014年現在、あんな人間でも宇宙に行けるんだろうか。毛利さん的な、宇宙的な好人物じゃなくて、非常に地上臭い好人物。喋り続けてて、一見モテそうなチャラいおっさんなんだけど、話してる内容は常に前向き。だから、主人公が迷わなくて済む。正解を常に指し示してくれるから、純粋にパニックを連続させることが出来る。結果、物語が非常にタイト。91分とはとても思えない事件量。ポセイドン・アドベンチャーとかだと、事件を演出するのに仲間割れがあったりヒロイズムをぐわっと拡大したりしないといけなかったわけで。パニック映画の進化を感じます。わーーーかっけぇ!どうやったらあんなキャラクター思いつくんだろ。

キャラクターで言うと、ダークナイトだったかで出てきた、バットマンのオヤジ。ミスターパーフェクト。彼を思い出した。「そこはあんまり語りたいとこじゃないから葛藤とかさせてる暇無いんだよね」感。まぁ葛藤しない人間は大体死ぬことになるんだけどさ。物語に必要ないからね。無理に生かすと全部そいつにやらせりゃ良いじゃんになっちゃう。出来杉みたいな立ち位置というか。そのミスターパーフェクトにどういう役割をさせるかというのは、脚本家の腕の見せどころの一つだと思う。

最後に、グっと抑えた演出の豊かさ。登場人物二人。死者は結構たくさんだけど、でも10人以下。多分だけど、歌付きの曲が一曲もない。アルマゲドンと比較してみると雲泥の差。なんなのこの余裕... 監督どんだけ鋼の心臓なんだ。こんだけの映像使って、緻密な脚本書いて、なんであそこで「本当に椅子の下に酒瓶がある」という演出を挟まなかったのだ。待つ家族を描かないのだ。描きたいものに対して一切無駄がないのは分かるんだけど、その描きたい物が何だったんだろうかと思う。「機能を追加するには技術が必要だが、機能を減らすには哲学が必要だ」みたいな事をjobsさんが仰っていたようですが、この監督の哲学は何だったんだろうと。テーマなのか、宇宙の映像表現なのか。なんとなく、映像のような気がするんだけど。もしくは宇宙そのものとかか。


感想以上。なんだろ。個人的に、高度すぎて訳わからん!と思いました。インセプションとはまた違ったハイテクストーリー。インセプションの場合は、なんであんな複雑な物語をよどみなく理解させる事が出来るのか!?!?という訳わからなさだったけど、この映画は何でここまでタイトに徹することができるの??自腹で撮ってんの???という訳分からなさ。と、ジョージ・クルーニーのキャラクターはどうやったら思いつくの!??という分からなさ。高度。監督のインタビューとか見てみよう。

そういう、映像的にもストーリー的にも「技術の塊」みたいな映画だったのですが、だからこそ、見る人の人生に決定的な一石を投じる説得力みたいなものは、若干乏しい感じもしました。美しすぎるし上品過ぎる。全然面白いし好きだけど、あえて言うならね。でも、そんなのは割とどうでも良い気がする。だって明らかに、僕は91分間夢中になれたんだし。



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2012年08月02日

darkknightrises

映画の日ということで、つい先日公開したダークナイト・ライジング見てきました。兎にも角にもアン・ハサウェイかわいい。美人の持つ説得力。CGとタメを張る生身の人間。あのタレ目の下半身直結のエロっぷりと、その癖やたら強い眼力を兼ね備えた、エクスキューズ不要の美人アイコン。何あのスタイルパネェ。まーー素晴らしい。ということで、以下ガッツリネタバレします。忘れないうちに感じたこと色々書くので、たぶんとっちらかった感じになるかなと。あしからず。

---------------------------------------------------ここからネタバレ---------------------------------------------------

ダークナイトライジング。面白かったです。はい。でも、すごーく面白くはなかった。僕基準でダークナイト三部作に点数つけるなら、バットマン・ビギンズ86点、ダークナイト93点、ダークナイト・ライジング71点って感じかなぁ。平均83点は素晴らしいです。ターミネーター三部作と似た感じの山の描き方ですね。マトリックスは1が一番面白かった。

影の軍団がダメなんだと思うの。因縁が必要だったんだろうか。影の軍団が出てくると、そのネーミングのダサさというか、存在の胡散臭さがどうしても出ちゃう。その胡散臭さを封じ込めるため、「ゴッサム・シティ」という「演出とハッタリ」を見事に成立させていたのだけど、影の軍団は異境だからね。白人にはいざしらず我々アジア人にとっては、演出とハッタリの効きがイマイチ悪い。例えばアレが北欧とかロシアとかだったら、影の軍団にも説得力を感じたのかもだけど、まぁ白人にとってアジアってのは、いまだにそういう場所ってことなんでしょう。あぁ腹が立つw 比較するのはモナコ?かな?あのリゾート地。あそこは要は、アメリカ人にとって「演出とハッタリ」の効かない外地なわけです。だからこそウェインが自然体でいられる。

三部作で言うと、2作目のダークナイトのみが、ゴッサムだけで完結するお話だったわけで、だからこそお話が大変シャープ。重ねて、バットマンである理由も、バットマンを終わらせる理由も必要なく、つまりは説明不要のもっとも好き勝手出来るパートだったとも言える。だからこそ、ジョーカーことヒース・レジャーが大暴れし続けられたんだろうなぁ。マトリックスで第二部が一番バトルシーン満載だったのと一緒。

次に。ダークナイト・ライジングは宿命的に、「伝説が、壮絶に、終わる」必要があった映画になってた。要はハズレが許されなかった映画。そんな映画をどうとり捌くかというポイントをいくつか見つけたように思うので、その事について書いてみようと思う。

まずひとつに、VFXの精度をクソ上げること。考える隙をなくす刺激の連続。次に、すっげー美人を動かすこと。CG使うのと同じ。圧倒的な説得力。ここで美人を引き立てるために、前2作では敢えて美人を封印してたんじゃないかとすら。それからファンサービス。ロビンにキャット・ウーマンにスケアクロウw 最後に物量作戦ね。山ほどのタンブラー。この物量作戦というのはいかにもアメリカ的な方法論ですね。ここら辺、マトリックスと同じ。

そういうお楽しみをふんだんに盛り込んで、前2作で見事築き上げた「素晴らしい映画」評を背景に、ハズれさせないよう守り堅めにしつつメッセージをねじ込むというのは、最近のワンピースでもやっていることで。つまりは、資本の集中の問題。「世界の富の99%は、わずか1%の人間が持っている」みたいなやつね。若干唐突感あったけど、ぶっちゃけ見ててカタルシスはあった。リーマンブラザーズ以降のアメリカのホットトピックの一つなんだろうなと思う。もしくは、白人カルチャーで地位を手に入れた人間が関心を寄せるべき物の一つというか。「震えて眠れ」って意味では、キーチvsと同じメッセージなんだよね、そういえば。

で。

ちょっと横道にそれるけど、上に書いた物量作戦等の「アメリカ的な手法」っていうのは、とーーーーぜん今に始まったことじゃないし、それはそれで僕は好きなんだけども、今回はちょっと居心地悪かったところがあるます。最近キーチvs読んだってことと、映画見る時後ろの席に座ってた白人4人組がやたらうるさかったのとも関係あると思うのだけどね。でも一番ひっかかったのは、映画のオチが「中性子爆弾」、つまり原爆だったってこと。あいつらにとって原爆ってのは、あくまでも遠くで爆発するものなんだよなぁ。普段意識することはないのだけど、そういう余裕をまざまざと見せつけられるとやっぱり、「お前たちはそれを俺たちの頭の上で2回爆発させたんだ」って思っちゃう。

ラストの描写、もし若干の配慮?誠意?良心?みたいなものがあれば、ARMSを踏まえて欲しかったなぁと思う。深海に沈めてくれよ。予言しておくけど、ワンピースではいつか原子力みたいなものについて語ると思うよ。日本人が語らなきゃそこは。「伝説は、壮絶に、終わる」って、原爆大爆発で終わるって事だったんだねってのは、ちょっと残念だった。

その「アメリカー!」って感じは、バットマン自身のキャラクター設定にも当然繋がってる。
前回書いたけど、ヒーロー物はその文化が持つ価値観のシュミレーターなわけで。3部作を通じて何度も訴えられていた、「俺はヒーローじゃない」って台詞。世界の警察と言われていたアメリカはもういない。自分たちの作った兵器が自分たちを襲う。その兵器は当然他国に深い傷をつけてんだけどねまぁそれはあえて良いとしてさ。なんというか、強いなぁ。アメリカ。つくづく恐るべき人間の国a.k.a沈黙の艦隊だなぁと思う。我を通して傷ついて超回復してたくましくなって行ってるなぁと思うよ。くそ。

というわけでダークナイト・ライジング。色々書いたけど。ちゃんと面白かったです。前作ダークナイトのような奇跡的な面白さは無かったけど、良いんですよそれは。ただ、これを無批判でおもしろーい!って言っちゃうのは、やっぱりなんか違う感じがしたかなぁ。アン・ハサウェイは無批判でかわいかった。かわいいは正義か、まったく。

sarustar at 16:58|PermalinkComments(2)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2012年07月08日

biginners


ちょっと前、映画みたいなーと思ってつらつら検索してたら、「余命宣告された75歳の父がゲイカミングアウトする」という映画がシネモンドでやってるようなので見てきました。性を扱う映画で見たことがあるのは、MILK、ヘドヴィグ・アンド・アングリーインチ、チェイシング・エイミーとかそんなもんでしょうか。アメリカン・ビューティーもそうかな。ティーンの女の子のレズ映画も見た事ある気がするな。

個人的にはこれらの映画の中で、本作が一番好きでした。理由は多分「主人公がセクマイじゃない」という点がでかい。セクマイ=セクシャル・マイノリティ。性的少数派と訳せば良いのでしょうか。メインテーマというかお話の本流は、あくまでも息子(ユアン・マクレガー)個人で、彼と父との葛藤というのは特に無い。さらに言えば、良き理解者という言い方すら不適切な気がする。あくまでも自然に、父の明るさに励まされ、死の悲しさと向き合い、その時一緒にいてくれる恋人(男性)の存在を受け入れている。

お話としては特に好きでも凄くも無いかなと思ったけど、こういう視点の爽やかさというか、「それどころじゃなさ」というのは、とても良いと思いました。死を目前にした父。母は既に他界していて、44年間自分の性認識を隠し続けてきた、ある意味「筋は通した」父。その父が、残された年月を明るく過ごせるなら、カミングアウトの衝撃とかはそれどころじゃないというのは、非常にポジティブで正直な視点じゃないかなぁ...と。なんというか、感謝が先に立つというか。

でね。

こういう映画が、アメリカから出てきたというのは、ぶっちゃけちょっと、悔しい感じはしています。MILKの時代と比べて、確実に価値観が進化している。それに対して日本はと考えると、なんというか凄く言葉を選ぶのですが、借り物の価値観で見当外れな敵と戦っているように見えることがあります。日本の性にまつわる価値観は、アメリカのそれとは違います。社会の仕組みも違います。そんな日本で性の問題を扱う時、レインボーカラーがふさわしいのか?ジェンダーやミソジニーという言葉が踊るべきなのか?というのは、僕なりに性の問題を観察しててちょっと感じる事だったりします。否定するつもりは全然無いんだけど、性関係の話題って発言するのがちょっと怖いんだよね...めっちゃ怒るんだもん。

とはいえ。

この映画はそういう、性にまつわる価値観を強力に牽引するタイプの映画ではなくて、幾多の先達者たちの築きあげてきた価値観の進化のちょっと脇に、脚本・監督であるマイク・ミルズの涼やかな視点をすっと並べてみた、という立ち位置なのかなとは思います。父子の葛藤、性にまつわる葛藤が非常にライトであるだけでなく、例えば死を目前にした父はそれでも肌ツヤが良くて元気だし、ヒロイン、アナはすごく都合がいいセクシーな包容力を持っているし。基本手持ちのカメラワークと相まって、フワフワとした印象は終始あります。

だけど、そういう甘いとも取れる視点が、それでもなぜかそう映らないというか、気にならない。絶妙なバランス。ところどころに挟まれる犬のシャープな台詞や、ユアン・マクレガー、クリストファー・ブラマーの落ち着いた演技、メラニー・ロランの可愛さ。それぞれが大きな説得力となっているからというのは、確かにあります。どれが欠けても、このバランスは崩れていたでしょう。しかしそれだけでは無い。一番の理由は、その視点そのものが持つポジティブな力強さのせいだと思います。ラストの新聞広告を読み上げるシーンでの、アナの愛と信頼感にあふれた台詞は、とても素晴らしい。「そうかーそう理解すれば良いんだ。」と思わせてくれる確かさを持っていると思います。

これ、性の問題で悩んでいる人が見たら、どういう印象を持つんだろうなぁ。楽になるのか、怒るのか。ファンタジーだと一笑に付すのか。僕は好きです。価値観の進化を感じられて。人類は進化するんだよ。だからうまくいくんだよ。

sarustar at 00:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2012年04月01日

joker

東村アキコの慧眼が喝破した通り、我々男子はダークナイトが大好きなのであります。やーだって哀しいものジョーカー!女性がみんな圧倒的な性的魅力への畏れを背負っている(決めつけ)ように、男はみんな哀しみという名のロマンを背負っているんですよ。愛、震える愛ってやつですよ。バットマンの圧倒的な財力、カルマ、バックボーンと比較しての、ジョーカーのこの安っぽいメイクったら。銅藍がはげ落ちて、どう見たって虚勢。前科2犯のチンピラの生き様。かーっ!

【こっからネタバレ多め】ダークナイト。ダークナイト。誰のことだこれは。語るべきストーリー、越えるべきトラウマ、聞く耳を向けさせる事のできる財力。そんなもの持たない人間が口にできるのは、でまかせしか無いんですよ。関心を集めるにはイカれるしか無いんですよ。「感動を伝えるのに、『死んでも』とか『命をかけて』とか言うのは、中産階級の人間の特徴。命を持ち出さないと己の平凡さを突破できない」という事を誰かが言ってましたが、まさにそれなんだよなー。だからこそ射抜かれるのです。「俺こそがダーク・ナイトだ」みたいなセリフ、ジョーカー言ってたっけ?言ってないよな多分。そんなセリフ似合わないものな。凡庸な己への圧倒的な否定と肯定。村上隆イズムじゃないかこれ。

で。

そんなダークナイトは以前見てたのですが、今回micci_dの勧めに従い、バットマン・ビギンズ見ました。新生バットマン3部作の第一話。ダークナイトが第二話で、今年公開のダークナイト ライジングが最終話です。監督・脚本はクリストファー・ノーラン。あ、メメントの監督なのか!あとインセプションも。言われてみれば、似てるっちゃぁ似てるのかもな。スゲェ。ナベケン気に入ったんだな。まぁ本作では噛ませだったわけですが。インセプションも最近見たのでそのうち書けたら良いな。あれもすごかった。

バットマン・ビギンズの感想。大 ア メ リ カ 万 歳 !これに尽きる。アジア描写の適当さ。コミック文法を映画文法に切り替え成立させる、強引な腕力。お約束を外さない事への執拗な圧力。初めて人を殺すのかってwww 最初の爆発からその後のラフ運転まで、どう考えても100人は殺してるだろwww白人がなぜか異境で首長はるってのも、アメリカ映画ならでは。そんな都合の良さも含め、これぞアメリカーっ!と思った。「大切なのはトリックと演出」かー。アメコミと映画の橋渡しをするには絶対必要なロジック。素晴らしい。

象徴的なシーンとして、冒頭の親父の完璧さね。ママへのプレゼントを子供に見せて、「どう思う?」ってセリフ。息子を一人前として扱い、人に物を送る喜びを共有する。その事が、自信を失う息子に与えるべきものだってことを理解している父親。死ぬ直前の、「いや、僕が外に出ようといったんだ」というセリフに繋がる、帝王学への伏線。これがまた、「僕が悪いんだ」「そうじゃない。悪いのは犯人だ」への伏線にもなる。すっげーーー。この練りあげられたストーリーの連続性と、一つのセリフの情報量は、本当に本当に凄い。多分原作には無いと思うんだがどうなんだろ。この親父の存在だけで、正統派ヒューマンドラマも書けるんだろなと思える。

お話の作りとしては、ダークナイトと同じ2部構成。ボスと黒幕二段構えの布陣で、ドラクエ3の映画化があったら参考になりそうな感じ。ハンディタイプの幻惑スプレーを、街全体に噴霧しようってスケールアップのさせ方は、前後の山の連続性がある。ドラゴン・タトゥーの女と比較すると、違いが分かりやすいと思う。キャラクターの作りは、ダイの大冒険のヒュンケル×ミストバーンに似てる。ダイ大は子供向け漫画だけど、よーく出来てる。

この原作から映画へのエンコードってのは、ある程度公式化出来るんじゃないかなーと思ったりもしてる。原作の良さを見極めて、その良さのみを維持すべく、主要な出来事を素材に再度調理し直す。良さと出来事の親和性は最高に高いはずなので、難しいことじゃない。良サンプルは蒼天航路、スパイダーマン、バットマン等々。悪サンプルはBECK、ドラゴン・タトゥー、ドラゴンボール等々。ストリートファイターは保留。

ヒーロー物っていうのは、それぞれのカルチャーが持つ「善の価値観」のシュミレーターとして機能していると思う。「大いなる力には大いなる責任が伴う」というスパイダーマンの価値観は筋の通った良い切り口だし、このバットマン3部作の1,2作目で表される、「正義と復讐の違い」「善の激化は悪の激化を伴う」という、アメリカが切り込むからこそ力を持つ価値観(お前が言うな!とも言う)のシュミレーションも、大変興味深い。ヒーローとして立ち上がり、善悪表裏一体に踏み込んだバットマンが提示するゴールはなんなのか。3作目は今年7月公開。日本でも同時公開するのかな?楽しみです。



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2012年03月11日

thegirlwiththedragontattoo

久々に映画館に行ってきました。見てきた映画は「ドラゴン・タトゥーの女」。原作はスウェーデンのベストセラー小説「ミレニアム」3部作の第一作、という書き方でいいのかな?著者スティーグ・ラーソンの処女作なんだけど全世界で2100万部!売れた、のに作者死亡、といういわくつき。監督はあのデヴィット・フィンチャー。「セブン」で「ゲーム」で「ファイト・クラブ」なのに、「ベンジャミン・バトン」で「ソーシャル・ネットワーク」なあの。リュック・ベッソンと同じく、初期に名作乱発して、現在は余生として映画作ってる大御所監督と言って良いだろもう。

脚本家は、今調べたらスティーヴン・ザイリアンという60歳くらいのアメリカ人。なんと「レナードの朝」の脚本家。他には「シンドラーのリスト」「ミッション・インポッシブル」「今そこにある危機」「ハンニバル」「ギャング・オブ・ニューヨーク」「アメリカン・ギャングスター」「マネー・ボール」などなど、そうそうたる作品の脚本を手がけている。こちらもいわゆる大御所だ。

見た感想。ネタバレアリ。つまんなかった。2100万部!売り上げた作品の映画化だからこそ選ばれた大御所監督と大御所脚本家。求められるのは「大ハズレさせないこと」なのだろう。ハードカバー上下巻ある原作を、おそらく余すことなくかいつまんでキレイにまとめた印象。ダイジェスト見てる感じだし、そもそもお話の山が2つある。上巻と下巻がどういう構成だったか想像着くわー小説で読むと面白いのかもなー。TVスポットでやってるのは後半のストーリー。サスペンス部分ね。開始1h15mはサスペンスと何ら関係ないと言って良い。きっかり半分な辺り、プロジェクトムービーの凄みを感じる。

ネタバレは続く。お話のざっくりした構成。不倫中の主人公ジャーナリスト。大会社の不正を告発しようとするが、会社側に雇われた、美しくもエキセントリックで社会不適合者なスーパーハッカー(クラッカー)エージェント、ドラゴンちゃんが大活躍。主人公、嘘情報掴まされて大敗北。社会的に抹殺され隠遁生活を開始。失意の日々を過ごす最中、ある老人に失踪した孫娘を探すように依頼される。持ち前の調査能力で捜査するも、手詰まりになった主人公。そこで頼るのは憎き敵、ドラゴンちゃん。捜査を進めるうちに、次第に心通わせる二人。事件解決後、主人公のために超絶スキルを発揮して、かつてのクライアント、主人公をハメた大会社の重役から大金騙し取り、不正も暴いて主人公は社会的に復活。ドラゴンちゃんは主人公に思いを伝えようとするが、主人公は不倫相手とイチャつく。ドラゴンちゃんはやっと見つけたと思った安らぎを捨て、一人バイクで走り去るのだった…というお話。

この構成の中で気持ちいいポイントを列挙してみると、
・ドラゴンちゃんの超絶スキル、美貌、総じてキャラクターの面白さ、新しさ
・ドラゴンちゃんのどうしようもない孤独が少しづつ埋まっていく過程
・かつての敵であるドラゴンちゃんと主人公がタッグを組む瞬間
・サスペンスの残虐描写とその解決
・主人公の没落と再生、仇討ち。
という感。見た時「なんでここでセックス?」ってびっくりしたのだけど、アレは要はドラゴンちゃんの不器用さ、孤独さを表現するシーンなんだな。そう考えると、カウンセラーのレイプも、ドラゴンちゃんの孤独に繋がる。この映画の感情的な軸はこのドラゴンちゃんの孤独で、でもそれにはなかなか気付けないんじゃないかなぁ。そういう物語の連続性に関する配慮はほんと雑だった。

ちょっと余談ですが、ドラゴンちゃんのキャラクターについて。
物語の核。インターネット世代にとってのヒーロー像の一つと言って良いんだろう。パソコンがあれば最強で、でもコミュ障で孤独。恋愛が苦手だけど性に関しては割とオープン。で、美人。なんて厨二設定!原作にはリスカ痕もあったんじゃないの?細かいこと言うなら、こういう子が仮にいたとして、絶対MacBookProは使わないし、百歩譲って使ったとして、Dockにガレージバンドのアイコンってどういう了見。こういうキャラクターで2100万部!売り上げる辺り、時代を感じる。要は、ザッカーバーグのスーパーウーマン化。ルーニー・マーラはまたしてもGeekのマドンナを演じることとなったわけだ。


僭越ながら断言すると、「絶対大ハズレはさせない」って制約さえ無ければ、この映画はもっと面白くなったと思う。前半必要ない。落ちぶれた主人公が、ハメられて追い落とされる様をフラッシュバックで見せれば良かった。どん底にいる主人公が捜査を依頼される。難航する捜査。回想。そうだ…あの女に頼めば…!!スクリーンに映る、コミュ障で美しいスーパーヒロイン。欠損は一目で分かる。孤独を抱えている。そんなの関係ない、必要なのは彼女のスキル。そして手を組む二人。重要な手がかりを手に入れた主人公への親近感に直結したセックス。翌朝の朝食。「あなたとの捜査は楽しい。」なんて不器用な告白。ドラゴンちゃんは子供なのだ。謎が解かれた後、自らのスキルで男を救うドラゴンちゃん。微笑でも抱擁でもなく、「役に立つこと」でしか感情を表現できない。「知っててゴメン。」全ては素早く、暗黙のうちに行われ、主人公は彼女の働きに気づかない。再び不倫相手とヨリを戻す主人公。なぜなら主人公は大人だから。ドラゴンちゃんは孤独を深め、世界は秩序を回復する。美しい物語じゃないか。

この映画、こう書くと、僕の大好きな映画「レオン」と、実は似てる。スーパースキルと孤独と幼児性。謎の解決を爆発でシメるという点も似てるw トップに貼った写真も似てないですかね?セオリーだけ、のシーン。レオンは原作が映画だから、映像用にゴリゴリにチューンナップされてて、だからこそ素晴らしいのだけど。例えば、マチルダがレオンの部屋の扉をノックして「お願い、開けて」と涙するシーン、あれ小説だったらあそこまでの切望感、開放感はない。そういう視覚的な点に限らず、映画脚本の文法と小説の文法は全然違う。詩と俳句くらい違う。

ドラゴン・タトゥーの女は、原作の文法をそのまま映画にしてしまっているのだと思う。これは例えば、BECKもそうだった。BECK程腹が立たないのは、原作知らないのと、絵がキレイだったからだろうなぁ。こんなこと、大御所脚本家と大御所監督が気付いてない訳はないので、きっとお金出す側からの要請が強かったのだろう。デヴィット・フィンチャーも堤幸彦も大変だなぁ。大ヒット原作に見合った成功を求められた映画。不幸な話だなーと思う。頑張れハリウッド。頑張ってくれ。

sarustar at 09:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2010年08月20日

サマーウォーズ [DVD]サマーウォーズ [DVD]
出演:神木隆之介
販売元:バップ
発売日:2010-03-03
おすすめ度:3.5
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旬を3,4回逃した感はあるけど、サマーウォーズ見ました。
先に結論言っちゃうと、おもしろかったし好き。さわやかだし。もう5回くらい続けて見た。けど、イマイチ。
なんかさー薄ぺらい感じが強いんだよね。隙が無さすぎんだ。
それ自体は良いんだけど、その隙の無さのベクトルが、「全方位に言い訳完備」みたいな感じ。

暗号解けた!なんで?→数学オリンピック日本代表一歩手前だから!なら納得♪
侘助がすげープログラム作れた!なんで?→ばあちゃんの金で独自開発できたから!なら納得♪
花札強い!なんで?→ばあちゃんに小さい頃から仕込まれてたから!なら納得♪
アカウントが集まった!なんで?→せいぜい30%くらいだし、あとなつきが美人だから!なら納得♪

というね。ここら辺の理論武装の速さは凄い。大体返す刀で言い訳してる。何がそんなに怖いの?

それに加えて、リアル方面への無責任感というか、責任取らなくても済むようにしてるのも薄さを感じさせる。
ケンジ君すごい!けど、日本代表ではないよ♪でも2056桁の暗号は解ける!
陣内家すごい!けど、おじいちゃんが散財したから今はちょっと凄くないよ♪でも人脈凄い!
暗号解けたのすごい!けど、世界に55人いたし、しかも実際は解いてないよ♪でも最終的には暗算!
OZがバグったからおばあちゃん死んだよ!けど、まぁ寿命だろうな…でも敵討ちっつって団結はするよ!

こんな感じ。
矢口真里ガイドラインの「芸能界で2,3位になるくらい好きです!」ってのと同じ。1位じゃねぇんだよな。
リアル方面でハッタリ効かせたり見栄を張ったり、そういう責任は負わないけど、うまみは欲しいと。
ずるい!ずるいよ!あざといよ!

でも。

それだけじゃ説明つかないんだよなぁ。だって面白いんだもん。スケール感あるんだもん。
と、これがきっとサマーウォーズのキモだと思うんだけど、そうなんだよね。スケール感ある。
それはつまり「壮大なハッタリかましてるぜ!」って事。「夢見させてやんぜ!」って事。
で、そのハッタリのベクトルが、テクノロジー方面にすげー特化してるんだよね。

200テラFLOPSのスーパーコンピューターにミリ波回線!とか、
米大統領のアカウント乗っ取れば核だって打てる!とか、
2056桁の暗号!(2048じゃないけど、デジタルキッズなら引っかからざるを得ない数字w)とか。
そういうハッタリの利かせ方は実に心地よい。喜んで騙されるよ!って感じ。

ほんと、全体的に気持ち良い分、理論武装の部分が残念なんだよなぁ。
「リアル方面では突っ込まないでね!突っ込み所は用意してあるから!オンラインに!」って感じ。
リアルでは理論武装して、権威主義的で、マッチョなものに憧れがあって、黒髪ロングが好きで、
オンラインでは「twitter/2chを通じて自分が世界に接続された」みたいな万能感を持っちゃう。
v速民かよ!と。見てて辛い程の理論武装っぷり。それを感じさせない空の青さが、逆に辛い。

まーそういう難しい事考えずに見れば良いのか。薄いってのは言い方替えれば軽快って事。軽快な映画好き。
でも、ガチガチの理論武装ってのは、やっぱりよくないと思うよ。
理不尽な世の中で揺ぎ無い理論は輝いて見えるけど、理論武装してるのって、
感情武装してヒステリー起こす馬鹿と、本質的には一緒だもんね。


開始5分の壮大かつ心地よいハッタリタイム。

sarustar at 09:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote