2015年07月21日

MADMAXで示されたオシャレな形を僕たちはどう活かせばいいのか

ウォータンク

前回、マッドマックスの形がオシャレだということを書きましたが、ではそれを僕たちはどう活かせば良いのか?と考えてみたくなったので、書きながら考えてみます。ちゃんとまとまらない可能性はありますが、アイディアはあるので読んでみてください。

オシャレポイントを整理してみると、
1.これまでのチェイス(に限らず)映画の多くは、アクションパートを「魅せるシーン」とし、そこであげたテンションの余韻でストーリーパート(人間関係や葛藤、成長)を見せる、という形式を取っていたのではないか
2.マッドマックスでは、戦いながら移動する描写自体が魅力的であり、フレッシュな戦闘描写とストーリーパートを同時に描ける。よって静止した絵の時には「次の方向性を決定する」という役割さえ果たせば良いことになり、スッキリする
3.ずーっと爆発しているのに物語がリッチ。全編の緊迫度が常に高水準でまとまっている。
という感じかなと。

例えばマトリックス レボリューションズ。戦闘シーンはどれもフレッシュですが、あの階段のあるホールでの戦闘シーンは、「要求を拒否されたので暴れる」というシーンであり、要求がどうなるのか?という次のストーリーへの繋ぎとしてしか機能していません。そのため、2時間戦闘を続けると、お話は一歩も進みません。

これらのポイントは、「戦闘に社会を持ち込み、それをコンパクトに表現している」というアイディアがキモになるかと思います。ウォータンク車内には、「隠れる」「撃つ」「車を運転する」「車を修理する」「傷を癒す」という役割が存在し、これらを誰が担当するか?という社会が形成されています。

各キャラクターにはそれぞれ出来ることと出来ないことがあり、例えばニュークスは直接敵を攻撃することはありませんが、車の運転、修理には特別の力があります。フュリオサは運転、戦闘に強く、マックスは(隠れる含め)全て出来るため、主人公として機能しています。これらの役割が全て、「逃げ切る」という目的に集約しており、かつ「どれも移動しながら実行する必要がある」という状況があり、しかも「移動しながら実行できるくらいに大きく頑丈なウォータンク」という乗り物があるおかげで実現できている、という点は見逃せません。

過去、こういった「多機能性を持った個体」は、主に人が担う役割でした。アクション映画の主人公が超人化するのはこのためです。本作ではそれをウォータンクという乗り物に仮託したのは、大きなポイントだと思います。つまり、他の映画の主人公的な無敵性、多機能性は、本作ではウォータンクそのものが担っているのです。爆発に巻き込まれても死なないシュワちゃんが、爆矢投げつけられても止まらないウォータンクになったのです。

こういうアイディアは、例えばパシフィックリムの「イェーガーは二人(以上)で操作する」というアイディアに近いものがあります。社会は3人以上でないと形成されませんが、2人になることで「関係」は生まれるため、そこにドラマが生まれます。誰が誰と組むのか、誰が生き延びるのか、誰がリードするのかといったイェーガー内の人間関係は、社会を描くため「基地」を必要としましたが、10人近くが乗車できるウォータンクなら、ウォータンク内のみで完結させられたのです。

主人公はウォータンク!と無理やり考えてみると、なんだか色々クリアになる気もします。最後の自爆はアイツの自爆であるとともに、ウォータンクの死でもあるわけです。またフュリオサが今回の計画を実行に移したのも「ウォータンクがあれば成功する」という目論見があったからです。非常にヒーロー的です。能力のあるウォータンクが、フュリオサという意志をインストールすることでドライブする物語、と考える事ができるかもしれません。

主人公性をキャラクターとは違うものに仮託する、というアイディアは、この映画のストーリーというか映画的な新しさにとって、重要なポイントだと思いました。例えば銃に仮託するとどうだろう?家だったら?ロボットだったら?そうする事でキャラクターは新たな自由を手にできるのではないか?と考えてみるのは、方法としてアリな気がしました。ということでひとまずここまでにして、これらについては今後も考えてみようと思います。

sarustar at 19:33│Comments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote レビュー 




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