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久々に映画館に行ってきました。見てきた映画は「ドラゴン・タトゥーの女」。原作はスウェーデンのベストセラー小説「ミレニアム」3部作の第一作、という書き方でいいのかな?著者スティーグ・ラーソンの処女作なんだけど全世界で2100万部!売れた、のに作者死亡、といういわくつき。監督はあのデヴィット・フィンチャー。「セブン」で「ゲーム」で「ファイト・クラブ」なのに、「ベンジャミン・バトン」で「ソーシャル・ネットワーク」なあの。リュック・ベッソンと同じく、初期に名作乱発して、現在は余生として映画作ってる大御所監督と言って良いだろもう。

脚本家は、今調べたらスティーヴン・ザイリアンという60歳くらいのアメリカ人。なんと「レナードの朝」の脚本家。他には「シンドラーのリスト」「ミッション・インポッシブル」「今そこにある危機」「ハンニバル」「ギャング・オブ・ニューヨーク」「アメリカン・ギャングスター」「マネー・ボール」などなど、そうそうたる作品の脚本を手がけている。こちらもいわゆる大御所だ。

見た感想。ネタバレアリ。つまんなかった。2100万部!売り上げた作品の映画化だからこそ選ばれた大御所監督と大御所脚本家。求められるのは「大ハズレさせないこと」なのだろう。ハードカバー上下巻ある原作を、おそらく余すことなくかいつまんでキレイにまとめた印象。ダイジェスト見てる感じだし、そもそもお話の山が2つある。上巻と下巻がどういう構成だったか想像着くわー小説で読むと面白いのかもなー。TVスポットでやってるのは後半のストーリー。サスペンス部分ね。開始1h15mはサスペンスと何ら関係ないと言って良い。きっかり半分な辺り、プロジェクトムービーの凄みを感じる。

ネタバレは続く。お話のざっくりした構成。不倫中の主人公ジャーナリスト。大会社の不正を告発しようとするが、会社側に雇われた、美しくもエキセントリックで社会不適合者なスーパーハッカー(クラッカー)エージェント、ドラゴンちゃんが大活躍。主人公、嘘情報掴まされて大敗北。社会的に抹殺され隠遁生活を開始。失意の日々を過ごす最中、ある老人に失踪した孫娘を探すように依頼される。持ち前の調査能力で捜査するも、手詰まりになった主人公。そこで頼るのは憎き敵、ドラゴンちゃん。捜査を進めるうちに、次第に心通わせる二人。事件解決後、主人公のために超絶スキルを発揮して、かつてのクライアント、主人公をハメた大会社の重役から大金騙し取り、不正も暴いて主人公は社会的に復活。ドラゴンちゃんは主人公に思いを伝えようとするが、主人公は不倫相手とイチャつく。ドラゴンちゃんはやっと見つけたと思った安らぎを捨て、一人バイクで走り去るのだった…というお話。

この構成の中で気持ちいいポイントを列挙してみると、
・ドラゴンちゃんの超絶スキル、美貌、総じてキャラクターの面白さ、新しさ
・ドラゴンちゃんのどうしようもない孤独が少しづつ埋まっていく過程
・かつての敵であるドラゴンちゃんと主人公がタッグを組む瞬間
・サスペンスの残虐描写とその解決
・主人公の没落と再生、仇討ち。
という感。見た時「なんでここでセックス?」ってびっくりしたのだけど、アレは要はドラゴンちゃんの不器用さ、孤独さを表現するシーンなんだな。そう考えると、カウンセラーのレイプも、ドラゴンちゃんの孤独に繋がる。この映画の感情的な軸はこのドラゴンちゃんの孤独で、でもそれにはなかなか気付けないんじゃないかなぁ。そういう物語の連続性に関する配慮はほんと雑だった。

ちょっと余談ですが、ドラゴンちゃんのキャラクターについて。
物語の核。インターネット世代にとってのヒーロー像の一つと言って良いんだろう。パソコンがあれば最強で、でもコミュ障で孤独。恋愛が苦手だけど性に関しては割とオープン。で、美人。なんて厨二設定!原作にはリスカ痕もあったんじゃないの?細かいこと言うなら、こういう子が仮にいたとして、絶対MacBookProは使わないし、百歩譲って使ったとして、Dockにガレージバンドのアイコンってどういう了見。こういうキャラクターで2100万部!売り上げる辺り、時代を感じる。要は、ザッカーバーグのスーパーウーマン化。ルーニー・マーラはまたしてもGeekのマドンナを演じることとなったわけだ。


僭越ながら断言すると、「絶対大ハズレはさせない」って制約さえ無ければ、この映画はもっと面白くなったと思う。前半必要ない。落ちぶれた主人公が、ハメられて追い落とされる様をフラッシュバックで見せれば良かった。どん底にいる主人公が捜査を依頼される。難航する捜査。回想。そうだ…あの女に頼めば…!!スクリーンに映る、コミュ障で美しいスーパーヒロイン。欠損は一目で分かる。孤独を抱えている。そんなの関係ない、必要なのは彼女のスキル。そして手を組む二人。重要な手がかりを手に入れた主人公への親近感に直結したセックス。翌朝の朝食。「あなたとの捜査は楽しい。」なんて不器用な告白。ドラゴンちゃんは子供なのだ。謎が解かれた後、自らのスキルで男を救うドラゴンちゃん。微笑でも抱擁でもなく、「役に立つこと」でしか感情を表現できない。「知っててゴメン。」全ては素早く、暗黙のうちに行われ、主人公は彼女の働きに気づかない。再び不倫相手とヨリを戻す主人公。なぜなら主人公は大人だから。ドラゴンちゃんは孤独を深め、世界は秩序を回復する。美しい物語じゃないか。

この映画、こう書くと、僕の大好きな映画「レオン」と、実は似てる。スーパースキルと孤独と幼児性。謎の解決を爆発でシメるという点も似てるw トップに貼った写真も似てないですかね?セオリーだけ、のシーン。レオンは原作が映画だから、映像用にゴリゴリにチューンナップされてて、だからこそ素晴らしいのだけど。例えば、マチルダがレオンの部屋の扉をノックして「お願い、開けて」と涙するシーン、あれ小説だったらあそこまでの切望感、開放感はない。そういう視覚的な点に限らず、映画脚本の文法と小説の文法は全然違う。詩と俳句くらい違う。

ドラゴン・タトゥーの女は、原作の文法をそのまま映画にしてしまっているのだと思う。これは例えば、BECKもそうだった。BECK程腹が立たないのは、原作知らないのと、絵がキレイだったからだろうなぁ。こんなこと、大御所脚本家と大御所監督が気付いてない訳はないので、きっとお金出す側からの要請が強かったのだろう。デヴィット・フィンチャーも堤幸彦も大変だなぁ。大ヒット原作に見合った成功を求められた映画。不幸な話だなーと思う。頑張れハリウッド。頑張ってくれ。